おはようございます、こんにちは、こんばんは。
じおーた(Twitter@JiotaQq8888)です。






地方の大学病院を辞めるのは今でも難しいですよね。
現代でも”白い小塔”と言えるくらいの力を医局は持っています。
「仕事だけに忙殺されて人生を終えたくない」「やりたくないことを我慢し続けて仕事をするだけなんてもう嫌だ」と考えている大学病院勤務の医師には参考にしてください。
ということで、始めていきます。
本日の目次(タップすると飛ぶよ)
大学病院を辞めたいまも心に刺さる言葉
ダイアン・マルケイの著書「ギグ・エコノミー 人生100年時代を幸せに暮らす最強の働き方」の1文が心に刺さりました。
『キャリアにおける目先の勝利と成果ではなく、家族の絆という長期的な見返りを求めよう』
大学病院を辞めるときに、この言葉を意識していたわけではありません。
しかし、転生して家族と過ごす時間が大幅に増えた今、この1文の通りだなと実感しております。
大学病院を辞めたくなった経緯
大学病院を辞めるまで、医師人生の75%以上を大学病院で過ごしてきました。
医局人事で異動を命じられるまで大学病院にいると思っていました。
どんなに休みがなくても、仕事が忙しくても、教育もでき、研究もでき、重症患者を診療できる大学病院は僕にとって魅力的なところだったのです。
辞めることにした年度は、ボスが交代したところでした。
今までのボスは、教育コースのために日本全国を飛び回ることに寛容でした。
ところが、医局内の不文律を、新しいボスは破りました。
「土日の当直・待機の当番を平等に分担していない」という理由でした。
私の言い分としては「教育コースの仕事は平等な分担どころか、僕以外に誰も負担していないじゃないか。一部分だけを平等に、というのはおかしい。」です。
「今回だけだから」と言われましたが、一度破られたルールがもう一度破られないと信じることはできませんでした。
信じることはできないと思いつつも、自分の言い分をボスに伝えず、辞めるかどうかを悩み始めました。
そのまま2か月して翌月の待機を決めるために集まったとき、半年前からコースの開催が決まっており、どうしても土日に待機をすることができませんでした。
その時、ボスに全員の前で怒鳴りつけられました。
理由を尋ねるだけでもなく、あらかじめ開催が決定されていたコースを私の一存で変えることなどできない事情などおかまいなく怒鳴られたのです。
私ももっと若ければ憤慨することもなかったかもしれません。
ましてや、10年間留学で好き放題して落下傘のようにボスになったこの人物でなければ受け入れたかもしれません。
しかし、このとき、私は大学病院を辞めることを密かに、しかし、固く心に誓いました。
「このボスの下で働くことはできない。このボスのために尽くそうとは思えない。」
背負っていたもの
「大学を辞める」という決断は大きな決断になります。
次の就職先、収入面、家族のことも考えなければなりません。
そして、何より大学を辞めるにあたって、悩んだのが先代から引き継いだ救急コースです。
後継ぎを作る余裕もなく、引き継いでからバタバタと駆け抜けた4年間だったし、後継者にするような人材もいませんでした。
逆に言えば、このコースこそが幾度となく辞めようかと思ったときに、引き留めてきた最後の糸だったわけです。
勝手にコースを閉じることもできませんので、先代に相談することにしました。
先代にメールをして、「時間を作ってほしい、2人で話がしたい」と伝えたところ、
「あまりいい話じゃなさそうだなぁ。会うのはもちろん構わないが・・・」と返事が返ってきました。
先代に会い、経緯を正直に説明しました。
そして、「大学を辞めたい。辞めたいが、コースのことがあって、そこだけは背負った以上責任もあるし、気にかけている。最後に気にかけているのが唯一、先代から託されたコースです。」
と伝えました。
先代からの返事はあっさりしたものでした。
「コースはおしまいにしよう。もともと自分の代で終わるつもりだった。たまたまお前がいたから継がせたが、いなければ自分の代でおしまいのつもりだった。それが足かせになってはいけない。」
妻に伝えたときとその反応
先代との話を終えて帰宅した後、「今回は本当に大学を辞める」と妻に伝えました。
後から聞きましたが、妻は(今までさんざん色々なことがあっても辞めるまでは至らなかったので、今回も辞めないだろう)と思っていたとのことでした。
今だに「よく決断したなって私が驚くぐらいだから、周囲はもっと驚いてるよ。」と言われるぐらいでした。
自分としては、妻だけしかいなければ辞めなかっただろうけど、子供がいたことも大きな要因だったと思います。
自分が2歳の時、仕事が忙しくたまにしか帰れない父に向って「おじちゃん、誰?」と言ったエピソードを結婚式の時に聞いていたのもあります。
(我が子と一緒にいる時間を増やしたい。)
我が子に「知らないおじちゃん」と言われるのは、勤務医あるあるではあるんですが、自分はそう言われたくないと思ったんでしょうね。
妻の受け入れ、我が子の存在、この2つがあって、自分としては大学を辞める条件は整いました。
辞めるための戦略
冒頭にも書きましたが、大学というところはなかなか手ごわいところです。
自分が辞めると決心したからと言って簡単に辞めさせてくれるところではありません。
ですから、私は辞めるための戦略を練りました。
本当に練りに練って練りまくりました。
大事なのは、「大学病院を辞めること」です。
色々と不平不満もありましたが、自分の不平不満や自分の立場を相手にわかってもらうことが目的ではありません。
大学病院を辞めるという目的を達成するために、だれに、いつ、辞意を伝えるか、そして辞める理由を考え抜きました。
最終的に、腎臓内科のボスを通り越して、医局長という教授に次ぐ教室のナンバー2に直接伝えることを選びました。
辞める理由も「育児が妻のワンオペになって、精神的に不安定になっている」という家庭の理由のみを伝えることにしました。
なぜこういう戦略にしたかは、この記事も参考にしてください。
大学を辞める時の経緯を参考にして、相談された学生さんに伝えた内容の記事です。
上手に辞めるには?
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【会社・部活を辞めたい人へ】上手に辞めるのに必要な3つのこと
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7度の面談

写真の女性は置いといて、医局長とは7度の面談をしました。
面談と言いつつも、8割方、翻意への説得だったわけではありますが。
「外勤を減らし、定時で帰れるようにする。」
「自宅から近い病院へ異動し、当直なしで勤務する。」
「育児がひと段落するまで、国内留学という形で自宅近くの大学や病院へ推薦する。」
「これからは男性医師の育児も考える時代なので、育児もできる医師モデルとして活躍してほしい。」
「せっかくのキャリアを無駄にするな。医局にとって、君は今後を背負っていくべき人材なのだから。」
などなど様々な好条件を出し、説得を試みていました。
しかし、本当に辞めたい理由は、「直属の上司を信頼しておらず、ついていけないから」です。
医局長とは学生時代から知っていましたし、研修医の頃は指導もされていました。
入局後も一緒に仕事をしていましたが、理由について突っ込まれなかったのは残念でもありました。
(自分のことを医局のコマの1つとしてしか考えていなくて、人間性を深く見ていたわけじゃないんだなぁ。)
医局としても手放したくない存在ならば、本当に家族だけが理由なのか、なんとしてでも医局に残すのではないか、とも思いました。
自分が逆の立場ならそうするからです。
次に、医局の人事で異動するということは、貸しを作ることにもなり、将来再び異動させられる可能性もあります。
また異動先でも特別扱いでの勤務になると同僚や上司からのやっかみも出ます。
ということで、話は平行線の状態でした。
最後、どうやって承認を得たかというとこの一言でした。
「入局してから、今まで逆らったことがあったでしょうか?どんなにつらい状況でも医局のために黙って仕事をし、留学や勤務先の希望も出さずにきました。他の先生は、そういった希望をかなえてもらっています。僕にとって初めての希望なのでかなえてもらえないでしょうか?」
こうして、7度の面談を乗り越え、円満に大学病院を辞めることができました。
普段から小さいことで不平不満をぶつけまくらず、ここぞのときまで取っておいてよかったと思いました。
もちろん、雑用も含め仕事は人よりこなしていましたし、学会発表、論文発表も人並みにはこなしていたのも一因でしょう。
日々小さな不平不満を上司にぶつけている人は、将来のことを考えて止めることをおススメします。
辞めたその先

こうして大学病院を去り、市中病院の救急医に転生したわけですが、このビフォーアフターはこのようになりました。
before⇒after
- 年収は40% down
- 完全休みの日は月1日⇒土日祝休み
- 帰宅時間は 午前様⇒定時帰り
- 有休、振替休日も取りやすくなった
年収40% downはさすがにこたえましたが、自分の時間がかなり増えたので仕方ない部分もあると思います。
「投資をやっていてよかった」と心から思う瞬間でした。
投資で少しでも補填ができる、投資でお金を増やすことができるという2点は、やりたいことをやる自分の後押しとなりました!
保有者が少なく、実践的な資格を複数持っていることも転職への後押しとなりました。
そして、育児にも、家事にも参加するようになりました。
当直でいない夜は我が子に「パパどこ?」って言ってもらえるまでになりました。
ちなみに、大学生で下宿をして約20年、一度も自炊したことのない私でしたが、これを機に料理もできるようになりました(笑)。

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大学病院・医局に対して思うこと
ここまで不平不満も書いてきたので、あなたは私が憤りばかり感じていると思われたかもしれません。
私自身、ここまで育ててくれたことに対しては非常に感謝しております。
と同時に、ここまでようやく育てたのに去られる医局の方がつらかったとも思います。
初期研修から、専門医・学位取得、国際学会発表や論文発表、これまでに書いてきた資格の取得も医局や大学のバックアップがあってこそです。
取ってつけたような言葉ではなく、書き尽くせないほどの感謝があります。
実は、医師6年目で大学に戻ったとき、腎臓内科は自分含め4人しかおらず、4人のうち2人が僕より先に大学を去りました。
最後まで面倒を見てくれた1人の先生には、先に自分が大学を去ることに関して心底申し訳なく思っております。
世の中には順序というものがあることも理解しておりますが、落下傘のボスとこれ以上やっていく気になれませんでした。
その先生がボスならこういう事態にもならずに済んだのかもしれません。
ただ、最終的には医局やボスなど他人が原因ではなく、自分の意思で決定した結果です。
まとめ
本日は大学病院を辞める経緯と手段についてお話ししました。
今日のお話での教訓は
- 普段から小さいことで不平不満を言わない⇒自分が動きたいときに動けなくなる
- 投資は、自分のやりたいことが見つかったときに後押ししてくれる⇒投資は早く始めた方がいい
- 辞めるときの最大のゴールは相手に理解してもらうことではない⇒円満に辞めることがすべて
- やめてほしくない部下に対しては、言ってきた理由だけでは本音じゃない可能性を考えるべき
ということで、最後にもう一度大切なことを書きます。
『キャリアにおける目先の勝利と成果ではなく、家族の絆という長期的な見返りを求めよう』
では。

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