おはようございます、こんにちは、こんばんは。
じおーた(Twitter@JiotaQq8888)です。




転生してたった2年で救急医を辞めたじおーたですが、ブログのタイトルはそのまま「転生したら救急医だった件」でいきます。
さて、今回大学病院に戻った理由ですが、2つありました。
理由の1つは自分のやりたい仕事だったこと、理由のもう1つは労働環境に折り合いがついたことです。
大学病院は準公務員なので働くのに色々と条件がつくのですが、育児中である私はどうしても労働時間に制限がつきます。
労働時間に関して、職場のスタッフの理解とフレックスタイム制で働けることが大きかったですね。
自分の力を発揮できそうな環境で、自分の労働条件で働かせてもらえる、お金よりも満足度を重視した仕事を選びました。
※今回は完全なる個人的主観の記事(ほぼ日記)ですのでご了承ください。
ということで、始めていきます。
本日の目次(タップすると飛ぶよ)
救急医を辞めて大学病院に移籍した経緯
救急医を辞める決断をするまで
大学を辞めて、救急医になってからの2年間をブログに記載したことはありませんでしたね。
当初は、内科と大きく異なる診療スタイル、救急コースの指導をしていて外傷診療を苦手としていた点で苦労していました。
幸い勤務先の病院は看護師やメディカルスタッフに恵まれ働きやすい環境でしたが、自分の武器としていた教育や急性血液浄化で力を発揮する場面は皆無に近かったのです。
ただ急に転職してきた経緯もあり、にわか救急医でもあったのでわがままを言えないなと思い、二次救急の対応と新型コロナウイルス感染症の影響で発熱外来対応を必死にやっておりました。
世間一般のイメージとは裏腹に地域中核病院レベルの救急科では、入院担当をしていないと定時帰りできるホワイトな職場だったりします。
そのおかげで、家事や育児、ワークライフバランスは最高だったのですが、仕事に対するやりがいはやはりつらいものがありました。
アドレナリンが全開になるような重症患者や救急疾患に出会う機会も相当少ないからです。
それだけならよかったのですが、上司にあたる指導医から救急診療や外傷診療に関する指導も受けられず、かつ上司に対する院内の風当たりが強いことにぼんやり気づき始めたのは入職後6か月くらい経った頃でした(遅っ!!)
そんなこんなで仕事にやりがいを見出せなくなりつつあり、モチベーションが下がっていく一方だった、ちょうどそのころ、救急コースで知り合いだった先生に「うちの大学で教育改革が必要なんだけど、先生の力貸してもらえないか?」と打診があったのです。
ここから一気に話が進んだわけではなく、1年くらいはそのまま出勤しては発熱など新型コロナウイルス感染症疑いの患者の対応と救急車対応で過ごしていく日々だったのですが、自分の中のもやもやは大きくなる一方でした。
「このままだと医師のキャリアとして終わっちゃうんじゃないか。この病院をクビになるとき、武器を持って移籍できるだろうか?」
医師としての未来が見えなくなりつつあった頃、学会で打診してくれた先生と再会し、ゆっくりお話をする機会がありました。
そのまま勢いに任せて見学に行き、
「大学病院に復帰するのはキャリアとしてはいいかもしれない。大学から大学は移りやすいけれど、市中病院から大学は歳を取ったらなかなか難しいだろう」
と思うようになっていったのです。
ちなみに勤めていた病院では、昇進、年収で7桁円の給与upを伝えられていました。
にわか救急医として2年働いてみて、辞める決断に至ったのは「そのままの環境では救急医として大成できない」と思ったときでした。
長く積んできた実績がヘッドハンティングの理由
今回、ヘッドハンティングされた理由は自分が長く積んできた実績の中で最も得意とするところと相手(大学側)のニーズがマッチしたからでした。
内科(腎臓)・透析・教育と大学の弱いところに、自分の強みが全てマッチしていた点、腎臓内科・透析・教育の大まかな資格を全て持っている自分は即戦力かつ大学から受講させる枠を後進に充てられる点が良かったようです。
ユーティリティープレイヤーも転職しやすい一例ではないでしょうか。
野球と同様、医療界もエースや4番だけで成り立っているわけではありません。
色々なタイプの医師が必要とされますし、時には投手以外はすべて守れて打順は1~9番まですべて打てるような元ヤクルトの土橋選手のようなユーティリティードクターの生き方もあるんですよ!
ちなみに土橋勝征選手は、ぼやきで有名な名将・野村克也監督に1995年リーグ優勝時に「土橋は裏MVPだ」と言わしめたユーティリティープレイヤーです!
大学病院に復帰したのはやりがいを求めて
最終的にやりがいのある仕事、やりたい仕事を選ぶことにして、大学病院(母校の大学病院とは別の大学病院です!)に復帰しました。
とはいっても大学病院に復帰するには条件がありました。
勤務先がさらに遠くなることと収入が減ることは確実だったので、育児ができるかどうか、生活が成り立つかどうかを考える必要がありました。
収入面はとりあえず働いてみないとわからない部分がありましたが、想定よりも低くてビビっております(笑)。
労働時間に関しては、フレックスタイム制になっているので現状はなんとか育児、特に保育園の送迎、が可能そうということで大学病院復帰の決断に至りました。
自分にとっては、「こなすだけの仕事で過ごす毎日は地獄のような日々」だったようです。
そんな腐った自分の背中を我が子に見せたくなかった、我が子に誇れる仕事をする自分の背中を見せたかったのかもしれません。
大学への挑戦:指導医の待遇改善と働き方改革
今回、大学病院に移籍して教育改革への参画を仕事として最も求められていることだと認識しています。
教育改革を実行するとともに、大学の慣習に対して2つのことで挑戦しようと考えています。
2つの挑戦
- 指導医の待遇改善
- 初期研修医や専攻医の勤務時間
”教育改革”という言動の元にさらなる仕事の上積みを避けること、これが教育改革の成否を決めるのではないかと考えています。
挑戦①:指導医の待遇改善
待遇といっても給料、勤務時間、休暇取得、当直明けの勤務など様々なものがあり、正直テーマとしては広すぎますよね。
ですので、現実的にまだ変わるチャンスがある待遇にしぼって挑戦します。
大学病院の中堅医師、いわゆる指導医たちの苦悩はこのツイートに集約されていると考えています。
今、ある大学病院で働く中堅医師の「苦悩」を2分の動画にまとめました. pic.twitter.com/0tVAriOxCS
— Dr_KRow-循内🩺 (@KRow_Dr_) February 20, 2022
「大学は臨床・研究・教育を3本柱とする」は、自分が医学生だった20年前にも言われていました。
それならば、なぜ臨床しかしていない医師より3倍働き、3倍成果を残している医師の収入が3倍ではなく、下手したら1/3しかないのか・・・。
大学病院勤務医が成果を出せばアルバイトに行かなくても市中病院の3倍の年収なら腕に覚えのある医師は集約される可能性があると思いませんか?

2022年現在、大学病院の給料を上げろ!と叫んでもおそらく変わる見込みは ほぼほぼ 不可能なうえ、政府の働き方改革で労働時間の規制から収入減までありうるという恐ろしい未来が近づいている気もしないでもありません。
ということで、現在の働き方が維持されるという前提で、教育に対する成果の評価を上げてもらうことで待遇改善を期します。
臨床は患者数や手術数、売上、研究は論文数やImpact Factor、論文の引用件数など数字で評価しやすいです。
ところが教育は数値で測れない部分が多々あると思われますので、臨床や研究と同等の評価がしにくく、評価されずにきた柱です。
そこで私の考える待遇改善は、教育に従事する医師の他の業務免除です。
教育改革の名のもとに教育の仕事で積まれた分を臨床か研究から仕事を減らしてあげるのです。
今でさえいっぱいいっぱいの指導医たちにこれ以上仕事を積めば逃げ出す医師が多いことは誰でも予想できるでしょう。
そもそも人材が充足している組織であれば、外部から人材をヘッドハンティングする必要もないと思われるからです。
挑戦②:初期研修医や専攻医にフレックスタイム制導入
私の周りだけかもしれませんが、最近は初期研修医や専攻医の間に結婚する医師が増えているように思います。
若手医師にとっては、お互いのキャリア形成と家事・育児の問題がかぶってきますし、医師の親の介護なども問題として挙がってきます。
自分自身も育児をしながら働いている現在、一番苦労している点は子供の送迎時間です。
医師といえど、人それぞれに家庭を含めたプライベートな事情が存在するでしょう。
そこで初期研修医や専攻医に対しても大学病院でフレックスタイム制が導入できれば、働き方改革にもつながるのではないかと考えているのです。
ちなみに自分はフレックスタイム制での勤務形態となっていることで育児を何とかこなしている状態ですから、他の医師にとってもありがたいのではないでしょうか。
医療界も最終的にはギグ・エコノミーのような時間当たりの労働形態になっていくのではないか、と私は予想しています。
ギグ・エコノミーって何?って方へ”ギグ・エコノミー”から引用します。
”ギグ・エコノミー”より引用
育児など家庭の事情があってフルタイム勤務は無理でも、時間単位の仕事(ギグ)を組み合わせながら働く医師も出てくるでしょう。
もしかしたら初期研修も時間当たりを分割しながら複数の病院で研修を積む、なんて方法も可能になるかもしれませんね。
その前段階としてフレックスタイム制を導入していきたいのです。

おまけ:転職のためにやっておいたほうがいいこと
おまけとして、この3年間で2度の転職を経験した身から、転職する日に備えてやっておくべき3つのことをお伝えします。
転職に備える2つのこと
- 卒業証書、医師免許、専門医証など必要書類のスキャンとPDF保存
- 履歴書の作成
- 実績書の作成
転職に備えること①:卒業証書、医師免許、専門医証など必要書類のスキャンとPDF保存
医師が転職するときは、医師免許証はもちろんのこと、それ以外に各種専門医証と資格の認定証などの提出を求められます。
大学病院に就職するときは、学位記(卒業時や大学院修了時)も提出する可能性があるでしょう。
普段から、受け取った証明書や認定証はスキャンしてPDF保存しておくと、原本を出してきてコピーする手間が省けますし、書類の記載時も確認できて非常に便利になるでしょう。
したがって、専門医証や認定証を受け取ったらスキャンしてPDF保存を習慣化することをおススメします。
転職に備えること②:履歴書の作成
医師は転職するときだけでなく、講演のときにも略歴を聞かれることがあります。
医局人事などで病院を転々とすることも考慮すると、履歴書を必要とする場面は多々あったりします。
西暦と和暦の両方で雇用期間を書いた原本を作っておくと非常に便利でしょう。
転職に備えること③:実績書の作成
転職するときに限らず、出版するときや略歴を出すときに提出を求められる可能性があるのが実績書です。
実績書に記載しておくべき項目は
- 専門医・指導医・各種資格の取得日と取得資格
- 所属学会
- 出版物(論文や書籍など)
- 発表(自分が筆頭演者のもの)
- 賞
です。
自分の業績のまとめとして一覧にできるので、出版や学会発表するたびに更新していくことをおすすめします。
私は日本語版と英語版で実績書を作成しており、英語版は”Curriculum Vitae”として履歴書兼実績書という形になっています。
Curriculum Vitaeを作っておくと、英語で履歴書提出の時に慌てないですし、英語の勉強にもなっていいですよ!
自分で見直してもかっこいいの作れてるなぁって自信になったりもするでしょう(笑)
まとめ
ということで、今回は大学を辞めて救急医に転生したのに、また大学に戻った経緯についてお話ししました。
40歳を超えて、やはり仕事はやりがいがある仕事をしたかったのと、プライベート(家族との時間や育児)と仕事の両立ができるめどが立ったので思い切って転職してみました。
おまけでは、医師人生を歩み始めたら履歴書と実績書をこまめに更新していくことと資格を取ったら証明書や認定証をデジタル保存すると便利なことをお伝えいたしました。
再び大学に戻ったDr.じおーたの運命やいかに!?